ソクラテスについて、最もわかりやすい本とも言われる「メノン」。
自信満々な若者「メノン」がソクラテスに挑むが、ソクラテスはやさしくメノンを導いていく。

メノンは「才能は人に教えられるものなのか?それとも自得するものなのか?もしくは生まれつきのものなのか?」という難題をソクラテスに突きつけ挑発する。
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議論に負けない為には、二つの方法がある。それは、「なんでなんで?」と物事の「前提」を問うか、「対案」を求めることだ。もっともこの二つを使えば、ソクラテスと同じく恨みを買うことになるので、現実世界では覚悟がないと使えない。

なぜ恨みを買うかというと、ほとんどの場合、「前提」と「対案」は答えられないからだ。橋本徹氏はよく「対案を出せ」と言っているが、ソクラテスは常に「前提」を問う。

我々が分かるのは、カップラーメンの作り方とか、具体的な方法であって、より上位の概念になってくるほどわからなくなってくる。ソクラテスは、カップラーメンの作り方を誇る人に、「カップとは何か?」「ラーメンとはそもそも何か?」「食べ物とは何か?」と、どんどん前提を掘り返して吟味していく。カップラーメンならまだいいが、才能といった漠然としたものの前提を問われても、現代人でも答えられない。

ソクラテスの「無知の知」は、自分が知らない事を知っている、というが、ソクラテスは物事をよく知っている。ソクラテスが知らない事とは、物事の「前提」だ。というか、人間である以上、「そもそも○○は何か?」と問われるとほとんど答えられない。人とはそもそも何か?人生とはそもそも何か?と言われても何もわかってないからだ。

メノンは、才能を教えるというソフィストに習って自信満々だった。これは現代で例えるなら、情報商材や「ビッグ・トゥモロー」を買って、成功法則がわかったと思っているような状態だろうか。メノンは若くて自信がないので、どこかに答えがあって、それを集めれば大丈夫だと思っている。

ソクラテスはメノンの不安を見抜きながら、ゆっくり丁寧に導いていく。本では、よくそこまでメノンにつきあうな、と思うほど親切だ。「わたしが美少年(メノン)に弱いことをおまえさんは知っているようだな」と冗談を言いながら、「前提」を問うことで、より物事の吟味ができる、という事をゆっくり教えている。

今回、「才能」と意訳したが、原語の「アルテー」は「徳」や「卓越性」と訳される。「アルテー」は幅広い意味で使われており、「才能」では意味が足りないが、より一般的でとっつきやすい表現なので利用した。しかも「メノン」の内容が非常に濃く多彩なので、4コマではほんのさわりしか表現できていない。

この4コマの参考にした渡辺邦夫氏訳の「メノン - 徳について」は、文章もわかりやすく、丁寧な解説がついてとても面白く必読です。

メノン−徳について (光文社古典新訳文庫)
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