前回の『老妓抄』は、明治以来の文学史上、屈指の名短編と呼ばれたそうだが、この短編も代表作の一つといわれている。
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今回のテーマも「いのち」で、女将さんは「どじょう」という「いのち」を、彫金師にプレゼントする。

老いた彫金師は言う。
「今夜も、あの細い小魚を五六ぴき恵んで頂きたい。死ぬにしてもこんな霜枯れた夜は嫌です。今夜、一夜は、あの小魚のいのちをぽちりぽちりわしの骨の髄に噛み込んで生き伸びたい」

彫金師はお返しに、簪に「いのち」を籠めて女将さんにプレゼントしていた。
「せめて、いのちの息吹きを、回春の力を、わしはわしの芸によって、この窓から、だんだん化石して行くおかみさんに差入れたいと思った。わしはわしの身のしんを揺り動かして鏨と槌を打ち込んだ」

最後の母親のシーンが秀逸。

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「妙だね、この家は、おかみさんになるものは代々亭主に放蕩されるんだがね。あたしのお母さんも、それからお祖母さんもさ。恥かきっちゃないよ。だが、そこをじっと辛抱してお帳場に噛りついていると、どうにか暖簾もかけ続けて行けるし、それとまた妙なもので、誰か、いのちを籠めて慰めて呉れるものが出来るんだね。お母さんにもそれがあったし、お祖母さんにもそれがあった。だから、おまえにも言っとくよ。おまえにももしそんなことがあっても決して落胆おしでないよ。今から言っとくが――」
母親は、死ぬ間際に顔が汚ないと言って、お白粉などで薄く刷き、戸棚の中から琴柱の箱を持って来させて「これだけがほんとに私が貰ったものだよ」
そして箱を頬に宛てがい、さも懐かしそうに二つ三つ揺る。中で徳永の命をこめて彫ったという沢山の金銀簪の音がする。その音を聞いて母親は「ほ ほ ほ ほ」と含み笑いの声を立てた。それは無垢に近い娘の声であった。
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この短編は老妓抄を含む短編集の中に入っている。

老妓抄 (新潮文庫)
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