西村賢太氏の新刊『人もいない春』に収録されている短編『二十三夜』を4コマにしてみた。
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最低オトコによる自爆話。

読むと、2人の賢太がいるのに気づく。1人は自分のことばかり考え、目先の物を得ようと必死になった結果すべてを失っていく男。もう1人は、そんな男の様子をどこか淡々とした目で見て、それを面白おかしく記述して読者に伝える男。

前者が小人物すぎるのに、後者は達観した大人物のような視点だ。なぜなら、小説家とはいえ、ここまでひどい自分を晒すのは普通できない。なぜ小人物な主人公からこのような視点が生まれたのか?恐らく、あまりにも損得を追求した結果、逆に損得を考える対象を全て失いそもそも考えようがなくなり、自らを捨てて自らを笑いものにするような視点に立てたのではないか。

物を捨てることによって無私な視点を保とうとするのは宗教家でよくある話で、中世のアッシジのフランチェスコは、王様に呼び出されて「お前はすべての物を捨てろというがそれは酷すぎないか?」と聞かれ、「なにかを持てば、それを守る力が必要になりましょう」とシャアシャアと答えたというし、とある禅のお坊さんなどは、湯飲み茶碗一つしか持っていなかったが、ある日子供が川縁で手で水をすくって飲んでいるのを見て、「ああ俺はなんてムダなものをもっていたんだ」と嘆いて茶碗を投げ捨ててしまったと言う。

これほどまでに彼らが物を嫌うのは、物を欲しいという損得勘定自体を、正常な考えを妨げるものだと思っているからであり、正常な思考は損得を超えたところにあると思っているからだ。彼らの場合は自ら捨てたのだが、賢太氏の場合、自ら全て失ってしまい、偶然にも同じ視点に立ったのではないか。

すべてを失って絶望してしまえば、あとできるのは人を笑わせるくらいだ。苦悩と失敗がいかに人を達観させるか、という意味でこの本は面白い。

それにつけても金の欲しさよ。

人もいない春
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