「鮫洲に近づくな」

もし最初に、私にそうアドバイスしてくれる人がいれば、どんなに良かっただろう。あの悲劇にであうことはなかったのだ。鮫洲とは、警視庁運転免許本部・鮫洲運転免許試験場のことで、日本一運転免許の試験が難しいと言われている所である。

この試験場を避けるため、泊まりがけで遠く離れた試験場に行く人もいるくらいなのだが、そんなことは後から知ったことだ。しかし今では「鮫洲」と聞くだけで汗が噴きだすと同時に心臓はバクバクと鼓動を増し、今でも鮫洲試験の悪夢で夜中に目が覚めてしまうこともある。

私がこの実話を話すのは、免許更新の期限を過ぎたための失効である「うっかり失効」の、そのかわいらしい名前の裏に隠された怖さと非道さを伝えることにより、今後、みなさんがうっかり失効をしないで欲しいと心から願うからである。

わたしが「うっかり失効」をしたのは、35歳のときだった。うっかり失効は、スピード違反などの違法運転と比べて、とてもとぼけてかわいらしい失敗である。免許更新通知の手紙は、引っ越しを繰り返していると行き違いで届かない場合も多い。しかも都内だと車に乗る機会が少ないので、意外に更新を忘れてしまう人は多い。なのに、うっかり失効者は違法運転による失効者とほぼ同等の扱いを受けることになる。

免許の更新時期を過ぎた期間が半年以内の場合、書類手続きだけで免許は復活するが、1年をすぎると、完全失効で、免許は取り直さなくてはいけない。しかし、半年以上、1年未満の場合、仮免許だけはもらえるという免除があり、私はそれに相当した。しかし、学科試験と、路上試験は受けなくてはいけない。

学科試験に合格すると、仮免許証がもらえる。私は一発で学科試験に受かったので、それでまったく安心しきってしまった。仮免許の有効期間は半年間で、そのあいだに路上試験に合格すれば、晴れて免許がもらえる。

私は運転歴が10年以上あり、運転には相当慣れている。「なにせ、俺は運転のベテランだからな!」と思い上がっていた当時の私は、路上試験なんて余裕で受かるだろう、となめきっていた。そのため、私が試験を受けたのは、仮免許の有効期間があと一ヶ月にせまったときだ。

というか、君まず両手でハンドルを握って

と試験官に言われたのは、1回目の試験である。今に思えばすごく恥ずかしいのだが、なめきっていた私は、のっけから片手運転だったのである。はっとした私はあわててハンドルを握ったが、試験官の心証は最悪だった。結果、1回目の試験はあっさり落ちた。

「まあ1回くらいは落ちることもあるだろう〜」
と、私はまだのんきだった。試験を受けるために、仕事は午前休をとっていたのだが、出社してみんなに「免許試験落ちた〜!」と言って笑いをとれたのが嬉しかったくらい、のんきだった。それからの長い試験生活を、まったく予想していなかったからである。

2回目の試験で、試験官は「危ない!」と言うと、急ブレーキを踏んだ。わたしが華麗なすり抜け運転を披露した時のことだ。まだ試験がなんたるかを勘違いしていた私は、「私は運転に慣れています」という間違ったアピールを試験官にしていた。

慣れて型がくずれた運転は、試験官がもっとも嫌うもので、試験のポイントは、いかに基本の型に従っているか、というあたりまえな点にある。そこを私はわかっていなかった。結果、2回目もあっさり落ちた。

「まあ、、2回くらいは、落ちることもあるかな?」と私はまだのんきだった。
会社の人も、そのころはまだ笑ってくれていたのだ。

3回目の試験は、別の問題が立ち上がってくる。それは「緊張」だ。2回も落ちていて、しかも、どうやら型にはまった運転が求められていると気付いてくる。しかし、もうその型はすっかり忘れてしまっているのだ。すると、どうやって運転していいのかわからず、試験中、やたらドキドキして動揺してしまう。

極度に緊張していた私は、急ブレーキをかけてクルマをスリップさせたり、赤信号を強引に突破したりして、また落ちてしまった。

そして悪いことに、そうこうしているうちに仮免許の有効期限が切れてしまい、路上試験をうける資格すら失い、仮免許の試験をうけることになってしまったのだ。

運転歴10年の私が、、、仮免許試験だと?

鮫洲駅で品川駅行きの電車を待つ間、無念さが胸にこみあがってきた。
すでに上司には2回試験を落ちたと報告していた。3回目を落ちたうえに、さらに試験期間が長引きそうだということを伝えなくてはいけない。「こいつは仕事もこの調子なのか?」と思われてもしょうがない事態である。

そして、友人に向けての「試験落ちた〜」という自虐ネタも、3度が限界であった。それ以上だと、単に頭がおかしいか、リストカットを繰り返す人のように、あえて試験に落ち続けるメンタルな人だと思われかねない。

私の10年間の運転プライドは、仮免許試験という辱めによってガラガラと崩壊していった。しかし、それによって、やっと試験用の運転に切り替えることを決意できた。気付くのが遅すぎるのだが。

あらためて本屋で、「クルマ運転の基本」といった本を買いあさった私は、クルマの運転の初心にかえることにつとめた。結果、仮免許試験は一発で合格。4回目の路上試験に向かうことになった。

しかし、4回目の路上試験でもあっさり落ちてしまった。
理由は「歩行者がいるのに横断歩道で止まらなかったから」なのだが、その歩行者は横断歩道から10メートルほど離れており、やっとこさ視界に入るくらいだったのだ。

そこで私は、鮫洲の試験官は、落とすための試験をしている事に気付いた。どうやらここでは落とす方が、試験官にとってはいいことなのだ。「受からせてあげたい」、という気持ちはなにもない。もちろんそれは一つの職業態度として、ありだろう。試験のプロとして、非常に冷徹に減点していく。

しかし、その時違和感を持ったのは、大学生のとき、福島で免許合宿をとったときとのギャップだ。そのときは試験官も優しく、簡単に運転免許をとることができた。

つまり、当たり前であるが、試験場によって、試験官の雰囲気はまったく異なる。そして、鮫洲が日本一難しいといわれるのは、この試験官の雰囲気が日本一厳格なのだ。それもそのはずで、ここは警視庁運転免許本部、であり、全国の試験場の模範となるべくして運営されている所だったのである。

余談だが、それに加えて鮫洲はクルマの交通量が半端なく多く、道路状況が変化に満ちているので、さらに難しいのだ。

私はその後も試験を落ち続けた。そうなると、運転プライドの崩壊のつぎに、社会的プライドも崩壊してくる。「私は社会にちゃんと順応できていないのではないか?」「私はだめな人間なんだ」という疑念がふつふつと、鮫洲駅で電車を待つあいだに起こってくる。

そして、4回目の試験失敗以降、もはや同僚に試験のことを言えなくなってきていた。
午前休をとる時点で、試験を受けにいったことはまるわかりなのだが、もう落ちたことはいいたくないし、また、ここまでくると同僚も気をつかってあまり言及しなくなってくる。

しかしたまに、「試験にもう5回も落ちてるみたいですね。バカなんじゃないですか?」と言ってくる人もいる。悔しいのは、運転免許試験が簡単なものと世間で思われている以上、その言葉に反論できないのだ。私は、「君は鮫洲を知らない。。。」苦し紛れにこう言うのが精一杯であった。

しかしとうとう、合格する日がやってきた。7回目の試験で、路上試験に受かったのだ。
鮫洲試験場の人に「おめでとう。だいたい7回目くらいで受かるのが普通だよ」と言われた。そう私はまさしく普通であり、異常ではなかったのである。

しかし、合格したけでは終わらず、北千住の教習所でまる1日、運転講習を受ける必要があった。わたし以外の参加者は全員スピード違反で免許失効しており、うっかり失効の私は、ひときわまぬけな存在として輝いていた。

講習は長かった。退屈なビデオと、酔って気分が悪くなる運転シュミレーターに悩まされたあと、心臓マッサージと人口呼吸の講習があった。

床に並べられたマネキンの一体に、私は人口呼吸をしていた。

私は至近距離でマネキンを見ながら、「私はうっかり失効をしただけなのに、なぜ今、北千住でマネキンと口を合わせているのだろう?」と、あらためて思い、悲しくて無念だった。免許失効をしてから、マネキンと口をあわせるまで、8ヶ月もかかってしまっていたのだ。

講習を終え、晴れて免許がとれた私が嬉しくて友人に伝えると、
「6回も試験に落ちるなんて、バカなんじゃないの?」と言われた。

「この人もうっかり失効しますように」と私は思った。